河口龍夫 「言葉・時間・生命」@東京国立近代美術館


一応書いておかなければならないかなぁと思いまして書きますが、正直あんまり好きじゃないです。ただ、何かを書きたいと思わせられる作品ではあります。だからこそ、大澤真幸さんなど他の分野の学者も彼の作品に言及するのだと思います。それから最近、河口龍夫人気がすごいですね。兵庫県立美術館、名古屋美術館でも大きな個展が開催されています。こんな風に大きな展覧会ばかり日本でやっている作家については大御所の批評家がたくさん言及しているので、そういうのを読むとまぁ彼らが言っているのだから私が何か言う必要もないかなぁなんて思ったりします。

でも一応書きます。

私が好きな作品は「DARK BOX」という作品だけです。これはただ、金属の箱に無をおさめただけの作品です。無というよりはDARKなわけですが、それをおさめてボルトで留めています。すっごい重そうな金属の箱であることが重要だと思います。実はそんなかっちりしたものでなくても、たとえば光を遮断する黒い袋とかでもいいわけです。しかし、とっても重厚なBOXに入っている。

要するに、暗闇に重さを与えようとしているわけです。そしてその重さとは意味です。DARKから意味を抽出することがこの作品なんですね。だからインスタレーションみたいに身体的な衝撃があるわけでもなく、絵画のように視覚的な衝撃があるわけでもない。

すると、この作品は極めてコンセプチュアルであるということになります。もの自体は全然面白くない。でも、DARK BOXと書かれた箱を見ると暗闇の意味や時間の意味を読み取ろうとしてしまう。そういう意味でコンセプチュアルなわけです。

ただ、これもまたDARK BOXという言葉が分からなければなんとも面白くない作品になるでしょう。だから、これは非常に記号的作品でもあります。ここもコンセプチュアルな点です。

さて、他の作品では様々な植物の種子を鉛で固めたりしています。これはこれでいい作品ですが、いきなり造形的になっていて、しかもあんまり美しくないと思います。これは私の好みの問題です。だから好きな人は好きだと思います。ただ、なんか古くさい感じがしてしまうのは私だけでしょうか。

もっと言ってしまえば、とっても1960年代末期的な匂いがするんですね。グループ「位」とかもの派とか。古き良き反体制。そこから本当に脱却しているのでしょうか?いや、脱却してなくてもいいんですが、脱却しなきゃだめだと私が思っているので、河口が脱却していないのであれば好きではないということになるだけです。偏見です。

今回のテーマは「言葉・時間・生命」です。その他にも関係がキーワードとしてよく使われます。そういうキュレーションや批評も面白いのですが、やはり同時代の作家との比較の中で彼の作品を見ていったほうが興味深いのではないかと私には思えます。

でも別にキュレーションも悪くないと思います。ただ、私が河口の作品を好きになれないだけです。それは、コンセプチュアルなのに、コンセプチュアルじゃないふりをしているからです。まぁそれだけです。ごめんなさい。




河口龍夫 「言葉・時間・生命」
会場: 東京国立近代美術館
スケジュール: 2009年10月14日 〜 2009年12月13日
住所: 〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1
電話: 03-5777-8600(ハローダイヤル



河口龍夫オフィシャルウェブサイト

関係と無関係―河口龍夫論

関係と無関係―河口龍夫論

100ERIKAS

お騒がせ沢尻エリカさんがオーストリアアルス・エレクトロニカという美術館に出現した(展示されている)らしい。
http://www.aec.at/center_exhibitions_project_de.php?id=142



多分、東京都現代美術館で開催された「SPACE FOR FUTURE」展で展示されていたタナカノリユキの作品群だと思う。この展覧会では下條信輔の文章が書かれた冊子なども配られていたらしい。今度見てみよう。
http://d.hatena.ne.jp/j0hn/20071028


「SPACE FOR YOUR FUTURE」展
会場: 東京都現代美術館
スケジュール: 2007年10月27日 〜 2008年01月20日
12月24日、1月14日は開館、但し12月25日、1月15日は休館。
住所: 〒135-0022 東京都江東区三好4−1−1
電話: 03-5245-4111



ところで、この作品すばらしい。2007年だからちょっと古いけど当時の状況を見事に表現できていると思う。そういえば、このころ澤田知子さんも注目されていた時期だと思う。彼女は簡易写真撮影機で色々な格好をしたポートレートを撮っていた(たぶん今も同じ作風のはず)。分裂した自己はいいとしても、沢尻エリカを被写体にすることでとにかく見た目がカッコヨクなるのがいい。やっぱりお洒落でキャッチーでなければどうしようもないのです。結局カワイイ&カッコイイが勝つ!

この作品はもともとはソニーエリクソン携帯広告だったらしい。



しかし、沢尻エリカは本当にいい役者だと思う。絶対につぶしてほしくない。確かに、自分勝手なところはあるだろうけどそんなの関係なく、いい役者はいい役者でしょ。びびらず使うしかない。僕がそんなこと言わなくても誰か使うんだろうけど。その時はエリカ様のこれまでのイメージをぶっ壊すような思いっきり難しい役を見たい。


そして今から朝生を見る。私は朝生が大好きなんだけど、今日は東浩紀さんとか赤木智弘さんとか相当面白そう。
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

松田修 「オオカミ 少年 ビデオ」@無人島プロダクション

さすがはChim↑Pom所属のギャラリー(プロダクション)だけあってとても面白い作品群でした。だいたい、チムポムと同系統、みたいなイメージでいいかと思います。

オオカミ少年ビデオ」という名前通り、映像作品(及び付随する写真作品)と少しばかりドローイング、1点のインす多レーションの個展です。作家は東京芸大の油絵の修士を卒業されたばかりの新人さんです。なかなかイケメンでチムポムの後では「どうせDQNだろ」とか言われるのでしょうか。あるいは芸大出身だからそんなこと言われないのかな?その辺の反応は見所ですが、逆にそういう反応が引き出せれば成功とも言えるわけで。難しいところではあります。

さて、作品ですが、本当におばかな作品ばかりです。

自分の足の片方の毛をそってペディキュアを塗り、もう片方の足と絡める映像の上に、あえぎ声をかぶせることでアオカンを妄想させる作品。

尿道を口に見立てて「包茎なんて差別だ」と主張する『インケイ先生の提言』

ぶっといソーセージにかぶりついているかと思いきや、実はその先には肛門が!要するにウンコ食ってたのね。

川におしっこしてたらいきなり血尿に!

パンチを繰り出すたびに屁をこいてしまうヘボイボクサー。

公園でホースから水を飲んでいる男。とホースのもう一方はペニスに繋がってたりして。

まぁこんな感じで本当にくだらないわけです。ただ、いくつかの作品がストップモーション(っていうのかな?)で作られています。要するに2枚か3枚の写真を連続して流しているだけなんですね。それに音を合わせることで時間性を生み出しています。こういう「時間」と「笑い」を意識的に作ろうとしているのかどうかよく分からない作品群だったので、実はあまり関係ないかもしれませんが、「音の持つ時間性」がはっきりと出ていたところは面白かったです。ただ、そうすると画像との関係が全くないので、多分作家さんは意識的ではないと思います。



さて、こんなバカな作品ばかり見て、それなりに楽しんだのですが、ポートフォリオを見てその100倍くらい楽しめました。この作家さん、とっても真面目な人で「原爆」や「死」、「ジェンダー」にガチで取り組んでいる作品がいくつもあります。

原爆が幽霊になったら一番怖いんじゃないかと思って製作した油彩画「原爆幽霊画」シリーズは流石は油絵といった筆致でかかれています。何で原爆が幽霊になったら怖いのか?ということについては作家自身はあまり深く考えていないかもしれません。ただ、厚塗りのマッドな絵の具の後と、繊細な線(それは個展で展示されていた鼻毛と、禿げオヤジの抜け毛にそっくりだ)からは恐怖を描き出そうとする意思が感じられます。幽霊は本来存在しないものが現れるから怖いのですが、広島で炸裂したリトルボーイorファットマン(明らかにその形です)もすでにありません。では、その幽霊に出会った私たちは何を怖れるのでしょうか?そのリトルボーイorファットマンが再び炸裂することでしょうか?おそらくそうした行為ではないはずです。もっと目に見えないものを怖れるのでしょう。それは存在そのものであり、また彼らの呪いであるはずです。私たちに亡霊のようにまとわりついてくるリトルボーイorファットマンが見えてしまったとき、リトルボーイorファットマンから逃れることのできない私たち=日本人が露呈されるのです。逆に言えば私たちの(歴史の)一部であるはずの原爆を忘却すること、あるいは鎮霊することで辛うじて並行を保っている日本人の根幹を揺るがすかもしれないのです。鼻毛とも抜け毛ともつかない細い線は、そのように私たちに刻印されたDNAなのかもしれません。とこんなことは作家さんは考えていないでしょうが、もし松田さんが見られていたらどう思うかな?(もし見てたらメール下さい)

その他、2001年に施行されたDV法によって、その年1331名(違うかも)が逮捕されたことに肖って、ストリートファイターⅡをモチーフに女性キャラクターチュンリーが1331回殴られる映像。死ぬ瞬間に小さくなってしまったマリオ。9.11で死んだ人の数だけ死んでしまうマリオ。などこの人は常に「死」に興味があるんですね。これらの作品は直接みたわけではありませんが、是非また見たい作品群です。



今回は無人島プロダクションという場所や初個展を意識してキャッチーな内容にしたのかもしれません。それはそれでとても面白い作品ばかりでした。でも個人的な要望を言わせてもらうと、やはり松田さん自身がずっとテーマにしている原爆とか死をガチンコでやってほしかったです。チムポムも長いことピカチューやった後、「ピカッ」を作ってしまったわけですが、松田さんもそうした<問題作>を見せてくれることを勝手に期待しています。


とはいえポートフォリオにもバカ作品はたくさんありました。女性器を三つ連ねた団子、女と団子さえあればOKという作品らしい。これは欧米ではアウトな気がする。いや日本でもアウトか。それから、東京タワーをチンポに見立てて光速でこすっているように見える映像作品、スーツを着たおじさんがお辞儀をする先には裸の男の性器が!?といった作品もあるので、そっち系専門の人も充分に楽しめるのです。



松田修 「オオカミ 少年 ビデオ」
会場: 無人島プロダクション
スケジュール: 2009年08月20日 〜 2009年09月19日
13:00-20:00
住所: 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南3-58-15 平間ビル3F
電話: 03-3313-2170 ファックス: 03-331-2171

来来来来来@本多劇場(劇団・本谷有希子)

全ての公演を終えているのでネタバレ全開です。まぁ終わってなくても全開するんですが。。。

鶴屋南北戯曲賞岸田國士戯曲賞を受賞し、すでにその地位を確立した勘のある本谷有希子芥川賞にもノミネートされた経験があり、小説の腕も認められています。しかし、まだ演出の賞は受賞していません。

演劇自体はDVDでしか見たことがなく、生の演劇は初だったのですが、上記のような受賞歴の理由がわかりました。

本谷の才能は脚本にあり!演出はよくありません。というのが結論です。

まず良いところから行きましょう。脚本は本当に素晴らしい。言葉遊びの質が高いんです。脚本の大枠はいろんなところで書かれてあるのでそちらで見て頂くとして、りょう扮する蓉子が結果的に逃げられてしまう夫と結婚した理由が、「お見合いしたときに言われた『偉そうな顔してますね』だった」という点が、私には非常に重要に思えました。それを蓉子は「えらいね」と褒められたと確信犯的に思いこみ結婚します。この事実が明かされるまでに、「義母の大切にしている孔雀が羽を広げたときの美しさを見るためだ」とかいろいろな理由を語るのですが、実は上記の些細な言葉を支えに、様々な虐待に耐えていたことが分かります。

なんとも下らない。その事実が分かるまでの紆余曲折。それを表現することは演劇の醍醐味だと思います。事前に創作された脚本とリアルな肉体は齟齬をきたします。というのも、脚本=嘘、肉体=現実だからだ。このように、どうしても齟齬が明らかになってしまう演劇の場合、「結局言いたいことはそんなことか」というベタベタな結論になってしまいやすいのです。これは弱点にもなりますが、長所にもなります。「なんんじゃそら!でもリアルだよね。」本谷の面白さはここにあります。

ブログの感想などを見ると、人間の本質的な悪が表現されている、というようなことがよく書かれてあります。確かに、ものすご〜く陰湿な部分はあるのですが、それは誰もが少なからず経験してきた学校でのいじめレベルだと思います。人間の本質的な悪意をシリアスでもシニカルにでもなく、コミカルに描けてしまうところが本谷の面白さです。ただ、演出が中途半端で見る人によってはすっごくシリアスに捉えていたりします。その辺の、曖昧さも面白いのかもしれませんが、もっと思いっきりコミカルに、あるいはシニカルに「演出」して欲しいと思いました。

それから残念ながら舞台初主演だったりょうは全然だめでした。やっぱりあの人はクール・ビューティーが似合ってます。と、思わせてしまうところに本谷の演出の甘さがあるように思います。ただ、先に触れた「偉そうな顔」は本谷の悪意?が透けて見えておもしろかったです。これも脚本の良さと演出の悪さですね。

でも、見て損はありません。普通に面白いです。芸術性の高さとか現代性に対する深い抉り込みはありませんが、言葉を聞いているだけでも十分面白い。それから、ロックな音楽も良かったです。

それから、本谷についてよく言われる「自意識の過剰さ」ですが、私は全然感じません。小説からも感じません。むしろリアルです。本谷作品に出てくる自意識過剰な人は巷に溢れています。というか、本谷は近年の作品では「自意識の過剰さ」から脱皮しているのではないでしょうか。

では本谷が今向かっているのはどこか?私が思うに「演劇」です。スペクタクルでもいいです。彼女の小説には映像が付きまとっているように思います。が〜っと髪をひっぱたりするシーンが目にありありと浮かんできます。でもそれは想像の中で起こっていることです。イメージを喚起するというとってもベタな物語性を「演劇」というリアルな肉体に落とし込むこと。そこに向かっているのではないでしょうか。そして、それは脚本レベルでは成功していると思います。小説でも同じです。でも演出の面で失敗しているから、実際の舞台を見るとう〜ん、物足りない!と思ってしまうのです。目を瞑って客席に座っているのが一番面白いのではないか!?という感じです。実際、本谷は声にキャラクターのある役者が好きなように思いますし。

さらに、本谷作品でよく言われるのが「田舎」。でも「田舎」も違うと思います。というのも「田舎」は都会から見た視線で、「田舎の人の田舎観」ってまた違いますよね。
で、本谷は「田舎」ではなくて「田舎の人の田舎観」だと思います。これは複雑なのでちょっと説明します。田舎の人は都会の視線を通して自分の田舎観を作ります。でもそれは大抵の場合間違っているものです。つまり田舎の人が都会の視線を通してみた田舎という幻想的な現実が「田舎の人の田舎観」なわけです。本谷の田舎観はこれに近いと思います。私が本谷作品を好きなのはそうした「田舎臭さ」です。「都会ってすっげぇ怖いところだなぁ」とか思っていても実は田舎の方が陰湿だったりする。都会に出てくるとそういうことに気づきます。でも、そういうことに気づいていないような素振りをするのが本谷の面白さです。つまり、都会に出てきて分かる「田舎幻想」を、幻想と知りながら捨て切らないということです。でも多分そういう曲り曲った批評的作品作りはしていないと思います。それがまた田舎臭い。もっとお洒落に作ればいいのに、すごく演劇臭かったり、田舎臭かったりする。すごく批評的内容を含みながら、本人は意識しない。とにかく面白い演劇を目指す。そういうところは松尾スズキ的ですが、本谷のほうがもっと素直でいいと思います。

あと今回の作品では最後までディスコミュニケーションが中心にあったと思います。本谷作品は大抵、その瞬間瞬間で、言わば「その場しのぎ」に行われる会話がディスコミュニケーションを生んで話が展開したり、悪意が表れたりしています。そして、本作では最後までディスコミュニケーションのまま終わります。蓉子が痴呆?になってしまった義母と暮らすことを決意するのは、ただ撫でてもらえる=誉めてもらえるからという理由だけで、そこには何の意味もありません。つまり、心が通ったわけではない。コミュニケーションが成立しているのか成立していないのかが全く分かりません。つまりコミュニケーション成立・不成立を判断することすらできな状況になるのです。これはディスコミュニケーションの最も明確な現れ方です。そして、本作ではこのようなディスコミュニケーションをコミュニケーションが成立したものとして受け入れる、ということがテーマになっています。「幸せ最高ありがとうマジで」では、最後にコミュニケーションが成立していました。それは、永作(役名忘れました)がはっきりと拒絶されるという形で成立します。つまり「拒絶した」=「拒絶された」と事実を両者が認識できているのです。しかし、『来来来来来』では最後までコミュニケーションの判断が宙づりにされており、蓉子はその状態を受け入れます。この点が最も現代的です。

このように本谷はコミュニケーションの本質的な不可能性を言葉によって表わしています。この意味で本谷作品が今もっとも面白い「演劇」であると思います。

いっぱい書きましたが、とにかく本谷さんにはこれからも屈託なく、どんどん作品を書いて欲しいと思います。量を作ることは時代を切り開く者にとって絶対必要だと思います。これからも楽しみにしてます!



・出演者
りょう
佐津川愛美
松永玲子
羽鳥名美子
吉本菜穂子
木野花

・スタッフ
作・演出:本谷有希子
美術:田中敏恵
照明:倉本泰史(APS
音楽:渡邊琢磨
音響:藤森直樹(Sound Busters)
衣裳:畑久美子
ヘアメイク:二宮ミハル
演出助手:菅野將機
舞台監督:宇野圭一+至福団
宣伝美術:新上ヒロシ+上野友美(ナルティス)
宣伝イラスト:中村 珍
宣伝写真:加藤アラタ(kesiki)
WEB製作:ACTZERO
制作:寺本真美
企画・製作:ヴィレッヂ・劇団、本谷有希子

劇団、本谷有希子ウェブサイト


あの子の考えることは変

あの子の考えることは変

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

『春のめざめ』劇団四季@自由劇場

青春の葛藤、親子の問題、過激な性表現、2007年のトニー賞受賞作は劇団四季としては異例の脚本だったらしい。特に性表現についてはいろいろな意見が見られた。ところが、いざ見てみるとお尻を出していたり胸を出していたりするくらいで、全く過激ではない。普通である。むしろ物足りないくらいだった。本当はそんなことはどうでもよいのだけれど、劇団四季の客層にとっては過激だったのだろう。あまりに潔癖すぎて危険だと思った。

さて、内容は確かに青春の葛藤を見事に描いています。ポイントは無知です。あるいはイノセントと言ってもよいでしょう。教師や親への反抗はむしろ小さな問題で、それに「対処する方法を知らない」ということを中心に描かれています。とても些細なことで子供ができてしまったり、自殺してしまったり、結局「生きて行こう」と決意したり。さらに大人も些細な問題を過大に受け止めて中絶させようとした娘を死なせてしまいます。無知ゆえに些細なことを過大に受け止めてしまうナイーブさ、あるいは肉体の成長に見合わない無垢な精神。そうしたイノセントを評価しすぎているところはあります。しかし、100年という時間や、ドイツと日本という国境を感じさせない青春の共通体験には何かしらの普遍性を感じずにはいれません。

もう一つのポイントはエインターテインメント性の高さでしょう。芝居中ずっとピンマイクを使っているのですが、歌うときは普通のマイクを持ちます。マイクを持った時だけ解放されるロックならではの爽快感をさらに高める演出でした。

ただ、ドイツ、ブロードウェイから日本に輸入する際の弊害も見てとれました。宗教問題と同性愛の問題が非常に大きなテーマになっているのですが、それがあまりにも簡単に流れて行ってしまうことです。宗教問題についてはもっと分かりやすく提示するべきです。青年達の授業風景によってそれが示されているのですが、ラテン語やルターを読んでいる描写だけでは私たち日本人にとってはよく分かりません。また、同性愛についても思いっきりディープキスをする体をはった演技にも関わらず客席からは「きゃー」っという笑いが漏れていました。こうした反応を読んだ上で、観客の反応を先回りした日本式の演出が見たかったです。もちろんブロードウェイからのお達しもあったのでしょうが、それをなんとかかんとかうまくやり過ごせるのは劇団四季くらいなのですから、がんばってほしいと思います。

それからステージ上の設置された席で観劇したのですが、足を組んでいたら注意されました。だったらステージシートなんか作るな!とキレそうになりました。1時間×2をじっとしたまま見ろ!ってことか!?別に邪魔してるわけじゃないのに。







春のめざめ公式ウェブサイト

ロスジェネ次号特集「資本主義に、愛はあるのか?   総力特集 それでも生きたい、愛したいッ!! エロスジェネ宣言」


みなさんロスジェネという雑誌をご存じでしょうか?
大きな本屋さんには並んでいるのですが、派遣切りやニートが問題視される中、超左翼マガジンをうたう雑誌です。内容はまぁだいたい想像通りなんですが、次号が面白ろそうです。

次号は増山麗奈というアーティストが責任編集だそうで、完全に増山色たっぷりです。増山は女体盛りしてみたり、一人で国会議事堂前でデモしてみたり一貫性があるのかないのかよく分からない子持ちアーティストさんです。やってることはけっこう面白いのですが、やっぱりあくまで古き良き「左翼」って感じです。作品については、好みが分かれると思います。面白いものもあります。


「資本主義に、愛はあるのか?」

という題名は結構いいとこついてる気がします。普通「愛(友愛)」を問うなら民主主義の中で議論されるのですが、それほ資本主義で問うところが「左翼」っぽくっていいです。とは言え危険な賭けです。本人たちがそのことをどれほど意識しているのかはさて置き、読んでみたいとは思わされました。


中でも面白そうなのは、アート・マーケットに関する以下の記事です。確かにアート・マーケットは縮小しているのですが、それでも思ったほど影響がなかったというのが現状です。

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【世界の窓】
■インタビュー 中国アートバブルとは何だったのか
  芸術家メレモン氏インタビュー 聞き手・鳥本健太(芸術評論家)
■戦後のイラクアート アッサード・ヨシフ(芸術家)
■論文「ポップ・アート」から「デモ・アート」へ――ロスジェネ的芸術とは何か? 大澤信亮

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もうすぐ始まるヴェネチア・ビエンナーレのテーマは「Making the World」ですが、どういう世界を作るかはいろいろ議論されていいですよね。

これに対する答えが「エロスジェネ」ってことらしいです。少子化対策にはよさそうです。これが「超左翼」の答えだそうです。




しかし!



増山さんのブログに以下のような記載がありました。


                                                                                                              • -

【news】6/13四谷CCAAでヨーロッパ遠征ツアーシンポジウム「若輩なる日本の現代美術」」

日本の現代美術はまだ始まったばかりだ!
嗚呼ー“Young Japanese Contemporary Art”
ようやくWorld Wideな視野でArtを構想できる環境が日本にも出来たのだろうか!
Artistはもちろん、批評家、キュレター、美術館、行政、
メディア、ギャラリスト、コレクター、観客、教育...
全ての成長がさらに必要だ!
ARTは果たして世界に
現代のジャパンオリジナルを問うことが出来るのか?
そんな環境から
ヨーロッパ遠征に臨む出展作家の胸中やいかに

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これってもろ右翼発言なんじゃなかろうか!?


いやいや違うんだ!ということは分かった上で敢えて問うてみました。このへんの理論武装について、もっと意識的でもいいと思うんですよね。なんというか、非常に素朴で確かに「愛すべき」人たちなんですが、素朴だなぁ、、、懐かしいなぁ、、、ってだけで終わってしまいますよね。大丈夫かな。共感しないんですが、心配になってきます。(左翼が心配されてどうする!?)



とにかく、この特集は楽しみです。久し振りに買って読もうと思います。


6月中旬には店頭に並ぶようです。


超左翼マガジン ロスジェネ

村上隆&カイカイキキ 映像編

下北沢トリウッドという映画館で、村上隆カイカイキキ所属アーティストの映画を見てきました。短編映像を一気に見ることができました。

・kaikai&kiki
イカイとキキというキャラクターのお話です。「うんち」や「おなら」など鉄板ネタを多様しながら、切なさもあります。1話と2話が公開されていますが、1話はスイカをめぐる自然と生命のお話です。物語は単純ですが、地球(宇宙)と生命のつながりと人のつながりがほのぼの表現されています。2話は、カイカイの過去が描かれています。カイカイはかつてあった宇宙戦争でお師匠様と悲しい別れを経験しているようです。カイカイとキキ二人の関係が愛にあふれていてどちらもいい作品です。また、時間をめちゃくちゃかけているだけに映像の質は、アニメの有名作品にも全く引けを取らないものでした。2010年に長編映画として公開される予定です。

・SUPERFLAT MONOGLAM
ルイ・ヴィトンのデザイン担当の際に作られた作品です。昔のものはyoutubeでも見られますが、新しいものは初めてみました。昔のは中学生くらいの女の子と村上キャラクターのお話ですが、今回は高校生くらいです。高校生なので初恋もテーマの一つになっています。恋愛感情とルイ・ヴィトンへのあこがれ=ブランディングを表現しているのでしょう。パンダのキャラクターを進化させて竹のモチーフが多様されている点が特徴です。昔のは映像の質の高さがアニメオタクにも評判だったそうです。今回も映像はとてもいいと思います。

・コオリユクオト
國方真秀未の作品です。生と死がテーマになっています。しかし、あまりにテーマに頼りすぎているように思えました。やりたいことがたくさんあるのは分かるのですが、もっと単純化して含みを持たせないと、逆に何を描きたいのか分かりにくくなってしまいます。「あたしはわるいこ、お兄ちゃんはいいこ」という作品が元になっているのですが、そこからどう飛躍させるかという点でいまいちでした。

・誰も死なない
Mr. の作品です。バトルゲームに熱中する女の子5人のお話です。女の子のお尻を執拗にとったり、胸をとったりと映像のフェチ度は高くて面白いのですが、内容がわけわかりませんでした。昭和のB級映画みたいな内容です。多分B級映画のパロディがいっぱいあるのだと思いますが、その元ネタがあまり分からなかったので、半分くらいしか楽しめなかったのではないかと思います。B級映画とアニメの折衷としてとらえれば確かに面白い作品でした。ただ、それをアイロニックなメッセージとして受け取ればいいのか、そのままやっぱアニメもB級映画もいいよねと積極的に受け取ればいいのか分かりませんでした。その辺、監督としての立場をもっと明確にしてもいいように思います。

その他、カニエ・ウェストのPVはダントツに質が高いし、カッコイイのですが、村上的モチーフというよりはカニエ・ウェストだなぁという感じが強かったです。それから、村上にとって花というモチーフの重要さがよく分かりました。日本的な捉え方でいくと花をモチーフとした作品はよく分からない部分があるのですが、あれはアメリカン・アーティストとしてのムラカミとして捉えれば分かりやすくなります。このへん詳細にはいるとめんどくさいのでまたの機会に。


まずはカイカイ&キキの公開が楽しみです!
見方によっては宮崎駿よりも面白いものになると思います。





カイカイキキ ウェブサイト
トリウッド