来来来来来@本多劇場(劇団・本谷有希子)

全ての公演を終えているのでネタバレ全開です。まぁ終わってなくても全開するんですが。。。

鶴屋南北戯曲賞岸田國士戯曲賞を受賞し、すでにその地位を確立した勘のある本谷有希子芥川賞にもノミネートされた経験があり、小説の腕も認められています。しかし、まだ演出の賞は受賞していません。

演劇自体はDVDでしか見たことがなく、生の演劇は初だったのですが、上記のような受賞歴の理由がわかりました。

本谷の才能は脚本にあり!演出はよくありません。というのが結論です。

まず良いところから行きましょう。脚本は本当に素晴らしい。言葉遊びの質が高いんです。脚本の大枠はいろんなところで書かれてあるのでそちらで見て頂くとして、りょう扮する蓉子が結果的に逃げられてしまう夫と結婚した理由が、「お見合いしたときに言われた『偉そうな顔してますね』だった」という点が、私には非常に重要に思えました。それを蓉子は「えらいね」と褒められたと確信犯的に思いこみ結婚します。この事実が明かされるまでに、「義母の大切にしている孔雀が羽を広げたときの美しさを見るためだ」とかいろいろな理由を語るのですが、実は上記の些細な言葉を支えに、様々な虐待に耐えていたことが分かります。

なんとも下らない。その事実が分かるまでの紆余曲折。それを表現することは演劇の醍醐味だと思います。事前に創作された脚本とリアルな肉体は齟齬をきたします。というのも、脚本=嘘、肉体=現実だからだ。このように、どうしても齟齬が明らかになってしまう演劇の場合、「結局言いたいことはそんなことか」というベタベタな結論になってしまいやすいのです。これは弱点にもなりますが、長所にもなります。「なんんじゃそら!でもリアルだよね。」本谷の面白さはここにあります。

ブログの感想などを見ると、人間の本質的な悪が表現されている、というようなことがよく書かれてあります。確かに、ものすご〜く陰湿な部分はあるのですが、それは誰もが少なからず経験してきた学校でのいじめレベルだと思います。人間の本質的な悪意をシリアスでもシニカルにでもなく、コミカルに描けてしまうところが本谷の面白さです。ただ、演出が中途半端で見る人によってはすっごくシリアスに捉えていたりします。その辺の、曖昧さも面白いのかもしれませんが、もっと思いっきりコミカルに、あるいはシニカルに「演出」して欲しいと思いました。

それから残念ながら舞台初主演だったりょうは全然だめでした。やっぱりあの人はクール・ビューティーが似合ってます。と、思わせてしまうところに本谷の演出の甘さがあるように思います。ただ、先に触れた「偉そうな顔」は本谷の悪意?が透けて見えておもしろかったです。これも脚本の良さと演出の悪さですね。

でも、見て損はありません。普通に面白いです。芸術性の高さとか現代性に対する深い抉り込みはありませんが、言葉を聞いているだけでも十分面白い。それから、ロックな音楽も良かったです。

それから、本谷についてよく言われる「自意識の過剰さ」ですが、私は全然感じません。小説からも感じません。むしろリアルです。本谷作品に出てくる自意識過剰な人は巷に溢れています。というか、本谷は近年の作品では「自意識の過剰さ」から脱皮しているのではないでしょうか。

では本谷が今向かっているのはどこか?私が思うに「演劇」です。スペクタクルでもいいです。彼女の小説には映像が付きまとっているように思います。が〜っと髪をひっぱたりするシーンが目にありありと浮かんできます。でもそれは想像の中で起こっていることです。イメージを喚起するというとってもベタな物語性を「演劇」というリアルな肉体に落とし込むこと。そこに向かっているのではないでしょうか。そして、それは脚本レベルでは成功していると思います。小説でも同じです。でも演出の面で失敗しているから、実際の舞台を見るとう〜ん、物足りない!と思ってしまうのです。目を瞑って客席に座っているのが一番面白いのではないか!?という感じです。実際、本谷は声にキャラクターのある役者が好きなように思いますし。

さらに、本谷作品でよく言われるのが「田舎」。でも「田舎」も違うと思います。というのも「田舎」は都会から見た視線で、「田舎の人の田舎観」ってまた違いますよね。
で、本谷は「田舎」ではなくて「田舎の人の田舎観」だと思います。これは複雑なのでちょっと説明します。田舎の人は都会の視線を通して自分の田舎観を作ります。でもそれは大抵の場合間違っているものです。つまり田舎の人が都会の視線を通してみた田舎という幻想的な現実が「田舎の人の田舎観」なわけです。本谷の田舎観はこれに近いと思います。私が本谷作品を好きなのはそうした「田舎臭さ」です。「都会ってすっげぇ怖いところだなぁ」とか思っていても実は田舎の方が陰湿だったりする。都会に出てくるとそういうことに気づきます。でも、そういうことに気づいていないような素振りをするのが本谷の面白さです。つまり、都会に出てきて分かる「田舎幻想」を、幻想と知りながら捨て切らないということです。でも多分そういう曲り曲った批評的作品作りはしていないと思います。それがまた田舎臭い。もっとお洒落に作ればいいのに、すごく演劇臭かったり、田舎臭かったりする。すごく批評的内容を含みながら、本人は意識しない。とにかく面白い演劇を目指す。そういうところは松尾スズキ的ですが、本谷のほうがもっと素直でいいと思います。

あと今回の作品では最後までディスコミュニケーションが中心にあったと思います。本谷作品は大抵、その瞬間瞬間で、言わば「その場しのぎ」に行われる会話がディスコミュニケーションを生んで話が展開したり、悪意が表れたりしています。そして、本作では最後までディスコミュニケーションのまま終わります。蓉子が痴呆?になってしまった義母と暮らすことを決意するのは、ただ撫でてもらえる=誉めてもらえるからという理由だけで、そこには何の意味もありません。つまり、心が通ったわけではない。コミュニケーションが成立しているのか成立していないのかが全く分かりません。つまりコミュニケーション成立・不成立を判断することすらできな状況になるのです。これはディスコミュニケーションの最も明確な現れ方です。そして、本作ではこのようなディスコミュニケーションをコミュニケーションが成立したものとして受け入れる、ということがテーマになっています。「幸せ最高ありがとうマジで」では、最後にコミュニケーションが成立していました。それは、永作(役名忘れました)がはっきりと拒絶されるという形で成立します。つまり「拒絶した」=「拒絶された」と事実を両者が認識できているのです。しかし、『来来来来来』では最後までコミュニケーションの判断が宙づりにされており、蓉子はその状態を受け入れます。この点が最も現代的です。

このように本谷はコミュニケーションの本質的な不可能性を言葉によって表わしています。この意味で本谷作品が今もっとも面白い「演劇」であると思います。

いっぱい書きましたが、とにかく本谷さんにはこれからも屈託なく、どんどん作品を書いて欲しいと思います。量を作ることは時代を切り開く者にとって絶対必要だと思います。これからも楽しみにしてます!



・出演者
りょう
佐津川愛美
松永玲子
羽鳥名美子
吉本菜穂子
木野花

・スタッフ
作・演出:本谷有希子
美術:田中敏恵
照明:倉本泰史(APS
音楽:渡邊琢磨
音響:藤森直樹(Sound Busters)
衣裳:畑久美子
ヘアメイク:二宮ミハル
演出助手:菅野將機
舞台監督:宇野圭一+至福団
宣伝美術:新上ヒロシ+上野友美(ナルティス)
宣伝イラスト:中村 珍
宣伝写真:加藤アラタ(kesiki)
WEB製作:ACTZERO
制作:寺本真美
企画・製作:ヴィレッヂ・劇団、本谷有希子

劇団、本谷有希子ウェブサイト


あの子の考えることは変

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生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

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