田口和奈 そのものがそれそのものとして It is as it is
田口の写真に写るのはモノクロームで描かれた油彩だ。
田口は様々な媒体から集めたモチーフをカッティングしてリミックスし、モノクロームの油彩として描く。そして、その油彩画を写真に撮る。田口が一番、神経を使うのは写真の撮影だそうだ。
80年代以降、写真はそれまで美術の外部にあった作家たちの出現によって復活する。もちろんそれまでの写真とは全く違った形で復活した。それは美術自体を対象化する作業だったのだが、田口が目指すものはその先にあるのだろう。
田口が個展によせた文章には「存在感」「意味」という言葉がある。そして、「何らかの意味」に接近したいと思うそうだ。さらに「こっちへおいで」と誘導されているようにも思っているらしい。
これまでの写真が、美術や権力から遠ざかっていくことで対抗していたようには、田口は対抗しない。むしろ一つの「意味」へ近寄りたいという。あまりにも「意味」がなくなった世界で、田口が欲する「意味」とは何か。それが分からない。しかし、東京芸術大学で博士号を取得した田口は、古典的な芸術家の方法でその「意味」へと近づく。ひたすら美しい写真を撮るためにアトリエにこもっているのだろう。
ウォーホルのシルクスクリーンを見るとき、私はいつも重層的な世界に引きずり込まれる。平べったい表面は心地よいが、その奥にはあまりに広大な世界が存在していて気味が悪い。しかし、私が生まれたときすでに世界は重層的だった。それは、高度に洗練された消費社会であり、もやはイデオロギーは存在しなかった。そして、人々は「無意味」にディスコで踊り狂っていた。私も踊り狂いたかった。でも、そうできなかった。私も、「意味」を求めている。きっとどこかにその「意味」はあるのだと信じたい。
しかし、その試みは絶望的かもしれない。少なくとも、これまでのようなモダンな方法やポストモダンな方法を使って「意味」を見つけだしたり、創造したりすることは困難だ。そもそも、創造自体がポストモダン・アートの敵だった。
田口は「芸術家」として真摯に制作する。いまのところそれはどこにも行きついていない。それでも彼女の作品は美しい。だとすれば、彼女が接近しているのは、何か美しいモノであるのかもしれない。単に「美しいモノ」。あまりに素朴すぎて現代アートとは呼べないような「意味」に彼女は近づいているように思える。それは、最もラディカルな形での、現代アートへのアンチテーゼかもしれない。
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