うえだはるき「共鳴」@新宿眼科画廊

うえだの作品には、膝を抱えた円らな瞳の少女のモチーフが多い。少女の肥大したお尻には空虚な艶っぽさが感じられる一方、華奢な腕にはあどけなさが存分に表現されている。このちぐはぐな裸体表現の中には、二人の女性が描かれているのである。一人は少女。そして、もう一人は母親である。

うえだは「お尻や腕を描くのが好きだ」と言う。

肥大したお尻は母親のそれだろう。安産型のお尻には、母性的愛情が詰め込まれている。しかし、そこにあるのは「空虚な」艶っぽさである。確かに、子どもを産むには最適なお尻だろう。しかし、性的描写は希薄だ。中性化されているのだ。そこには、失われた母性が表現されてしまっているのである。

ところで、文学の世界で母性の崩壊(父性、家族の崩壊)を扱った小島信夫抱擁家族』では、母であり妻でもある時子はヒステリックな人物として描かれている。しかし、うえだの作品に描かれた母のお尻にはヒステリシティーはない。逆に、全てを包含するような形をしている。しかし、空虚である。つまり、全てを包含するような穏やかな表現の中に、愛情を感じないのだ。母性はすでに失われた。そんなことは家族が崩壊したのだから当たり前なのかもしれない。しかし、人は家族からの愛を求めることを止められない。そして、愛を与えようとすることもまた止められない。ところが、愛を与える方法が家族の崩壊によって一様ではなくなってしまった。愛を与える方法は自分で考え出さなければならない。そして、多くの母は表面的には優しい母でありながら、愛の与え方に悶々と悩んでいるのだ。その悩みを敏感に感じ取ってしまう子どもたちは、素直に愛情を受け取ることができない。ただ、「空虚」なお尻に愛情を感じ取ろうとするだけなのだ。安産型のお尻には、母親から受け取った愛情いっぱいの表面と、愛情に希薄な空虚な内面が同居しているのである。

一方で、少女の華奢な腕は、「バイトをしてもすぐにクビになってしまう」という作家自身の自立できない現状を表している。アダルト・チルドレンという言葉はすでに死語になったようにも思えるが、うえだの作品を見ていて思い浮かんだ言葉はアダルト・チルドレンだった。お尻に母性を求める点も、アダルト・チルドレンと呼ぶに相応しい。

アダルト・チルドレン=うえだはるきの周りには、「トモダチ」がいっぱいいる。展覧会会場である新宿眼科画廊には、うえだの友人がひっきりなしに訪れる。そして、アーティストでもアーティスト志望でもない友人たちが差し入れる第三のビールを飲みながら、内輪な会話が開始される。exhibitionは多いものの、うえだの作品を鑑賞しているのはそうした内輪な友達=素人が多いようだ。また、アート関係者とのコミュニケーションは決して多くはないだろう。

この意味で、彼女の作品は「限界芸術」であると言える。つまり、ほとんど素人であるアーティストの作品を、完全に素人な「トモダチ」が鑑賞しているのだ。

「限界芸術」とは、鶴見俊輔が提唱し、近年福住廉が美術作品を批評する際に多用している概念である。福住は「限界芸術」に「資本芸術」を対置する。それは、福住が主張する「限界芸術」が、現代におけるアートワールドを敵とした対抗概念だからだ。つまり、現代アートワールドを象徴する言葉として「資本芸術」が想定されている。

以上のように福住の「限界芸術」を捉えるとすれば、うえだの作品は「限界芸術」とは呼べない。なぜなら、うえだの作品には「何か」に対抗する意思がないからだ。少女のつぶらな瞳は、誰も見ていない。誰にも視線を与えないことで、対抗することから距離を置こうとしているのだ。そうして、あらゆることを肯定し、膝を抱えてもがいている。従って、福住が評価する対抗的限界芸術に対して、うえだの作品は「肯定的限界芸術」と呼ぶことができるだろう。

ところで、うえだの作品を現代美術の系譜に位置づけるとすれば、奈良美智の系譜に入れられるだろう。実際、うえだは奈良のAtoZのような小屋のインスタレーションを制作している。人一人がやっと入れるくらいの小さな小屋の中で紡がれる個人的で小さな物語を、芸術の方法を通して表現する系譜である。奈良が描く子どもたちは鋭い目が特徴だったが、うえだが描く少女たちの瞳は円らだ。この意味において、うえだのほうが奈良よりも「小さい」物語を紡ぎだそうとしているのである。

だから、うえだの作品に対する理解は共有しにくい。しかし、膝を抱えて悩みながら、誰をも否定しない態度を私は評価する。私は対抗的芸術も否定しない。だが、対抗的芸術のほうがもっと共有しにくい。なぜなら、対抗すべき「物語」はもう終わってしまったからだ。対抗的芸術は確かに魅力的だ。そこには強い吸引力がある。しかし、肯定的芸術には吸引力が乏しい。それでも、肯定的芸術をいかに共有していくかを模索することが、現代美術が進むべき道なのだ。

さて、うえだは奈良県出身である。奈良といえば鹿だが、近年鹿たちが凶暴化し、観光客の持っている食べ物を強奪するなどして問題になっているらしい。危険な鹿は排除すべきという声も上がっているようである。しかし、うえだはそんな凶暴な鹿をも肯定する。



そして彼女は
鹿に優しくキスをする。



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新宿眼科画廊

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

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限界芸術論 (ちくま学芸文庫)

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